戦国 毒を盛る女たち 津軽家の満天姫 伊達家の義姫ほか

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戦国動乱の世、命をかけて戦っていたのは男だけではありません。女性も命がけで子を産み育て、時には自ら槍をもって戦い城を守りました。

なかには毒殺という手段でもって敵を消し、あるいは家を守ろうとした女性も。今回はわが子に一服盛った女性たちの毒殺事件のお話です。

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毒殺というと、毒矢などもありますが、やっぱりイメージするのはサスペンスドラマのあの場面ではないでしょうか。そう、お茶やお酒を飲んだと思ったら突然、「うー」とクビをかきむしりながらもだえ死ぬというあの場面です。

毒殺という手法は紀元前の昔から古今東西において使われてきました。戦いが多かった戦国時代でも毒殺による死が噂された人物は蒲生氏郷、加藤清正など数知れず。

そして毒殺に手を染めた女性たちもいました。しかもその中には何とわが子に一服盛った女性も。ひえー鬼母と言いたいところですが、そこには悲しくもたくしましく生き抜いた戦国女性たちのドラマがあったのです。

なぜ彼女たちはわが子に毒を盛ったのか、さらにその真相とは何だったのか。

津軽家の満天姫と伊達家の義姫を中心にしたお話です。

福島家から津軽家へ 徳川家康の養女満天姫

満天姫:Wikipediaより引用

最初に紹介するのは、戦国から江戸初期にかけて生きた満天姫(まてひめ)。彼女は家康の異父弟松平康元の娘、つまり家康の姪にあたります。

彼女の2度の結婚生活が、とんでもない不幸を生むことになりました。

1599年、満天姫は最初、家康の養女として福島正則の養子正之に嫁ぎます。まだ関ヶ原合戦前で、豊臣恩顧の大名である正則を取り込もうとする家康の政略ですが、2人は幸せに暮らしていました。

ところがメロドラマのような悲劇が起きてしまいます。満天姫が結婚した前後、正則に実子が誕生したのです。養子に迎えたとたん実子ができるのはよくあるパターン。それに似たこの展開、もう不幸へまっしぐらです!

正則は実子に跡を継がせたいが、家康の養女を妻にしている正之を追い出せません。そのうち満天姫が男の子を出産します。

正則は悶々とし、正之はそんな養父の気持ちを知り生活が荒れるという悪循環。

すると正則はそれを理由に家康に願い出て正之を幽閉し、1607年に正之は亡くなりました。舅に夫を殺されるという地獄を見たすえに、満天姫は子供を連れて実家に帰ります。

一説によると正則は満天姫を戻したくないため正之の死後、14歳の正勝の妻にしたとも。10歳年上の姉さん女房でしたが、家康に連れ戻されたと言われています。

福島家にとっても満天姫にとってもまさに呪われた結婚だったようです。

シングルマザーとなった満天姫に再婚話が持ち上がります。相手は津軽弘前藩主の津軽信枚(のぶかず または信牧(のぶひら))。津軽を徳川家に引き入れて奥州の抑えにする政略結婚ですが、じつは能の催しで信枚の姿を見て気に入った満天姫が望んだとも言われています。

今度こそは幸せに!と正之の忘れ形見を連れて再婚した満天姫でしたが、最初から暗雲が立ち込めます。

信枚にはすでに愛する妻の辰子がいました。しかも辰子は関ヶ原合戦で敗れた石田三成の娘。そこへ家康の養女が入るのですからまさにバッチバチの女の関ヶ原勃発です。

結局は辰子が側室に降格され満天姫が嫁ぎました。このとき、満天姫が強く嫉妬した、あるいは周囲が忖度したためか辰子は津軽家の飛び地の群馬県大館に移されています。

信枚は江戸と往復する際には辰子のもとを訪れ、信義という子供が生まれました。

面白くない状況ですが、満天姫は今度こそは呪われた結婚にしたくないと、家康の養女という立場を利用して津軽家のために頑張ります。

一時津軽家は国替えを命じられますが、中止になったのは彼女の尽力があったからとも言われています。

また、辰子が信義を残して亡くなると、満天姫は信義を手元に引き取り、育て上げました。連れ子の直秀も津軽藩家老の大道寺家に養子に行ってやれやれ一安心と思いきや、その直秀がとんでもないことをしでかすのです。

もともと津軽家中にも三成の娘を母に持つ信義では幕府に印象が悪いと考え、家康の義理の孫である直秀を津軽家の跡目に推す動きがありました。

結局、信義が後継者になりましたが、面白くないのは直秀。家康の孫である自分が、このまま津軽家の家老だなんて「ありえねー!」と思ったのでしょう。自分のルーツである福島家が改易になったこともあり、福島家再興の活動を始めます。

満天姫はとんでもないと何度も息子をいさめましたが、聞く耳をもちません。ついに直秀は江戸へ行って幕府に再興を訴えると言い出します。

津軽家にまで災いがおよぶかもしれない。息子を選ぶか津軽家を選ぶか。まさに究極の2者択一を迫られた満天姫は苦悩します。

心を決めた満天姫は直秀の江戸行きを許しました。

そして直秀は江戸に旅立つ朝、母のもとを訪れます。満天姫は息子に別れの盃を与えました。一気に飲み干す直秀。次の瞬間直秀は倒れこみます。「急に大病となりて、即死致せしとなり」と記されています。

満天姫が選んだのは津軽家でした。津軽家、家臣を守るため満天姫は気丈にも息子に毒を盛り、鬼母になったのでした。

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伊達政宗の母 義姫

同じ東北では伊達政宗の母の毒殺未遂事件がよく知られています。

伊達政宗は家督を相続してわずか数年で奥州を制覇した勇将です。しかしそんな政宗に悲しい歴史がありました。なんと父を目の前で殺され、自分は母に殺されかけるという散々な過去があったのです!

政宗は出羽国米沢城主伊達輝宗と正室義姫との間の嫡男として生まれました。母の義姫は出羽国山形城主最上義守の娘です。

この義姫はかなり気の強い女性で、1588年の大崎合戦では政宗と実家の最上、大崎氏が争うと両軍の間に輿で割って入り、「争うなら私を斬ってからにして」と停戦に持ち込んだ鬼姫です。

これだけ気性が激しいためか好き嫌いもはっきりしていたのでしょう。義姫は天然痘にかかり右目を失明してひねた性格になった政宗を好まず、次男の小次郎を溺愛。一時は小次郎を跡目に推したほどでした。

輝宗は政宗に家督を譲りますが、その翌年、輝宗は二本松氏に拉致されて殺されました。

ここから母と子の愛憎がますますもつれていきます。

義姫は政宗が父を見殺しにしたのでは?と不信感を抱きます。家督を継いだ政宗が最上氏や親戚の家を次々攻めるのも気に入りません。

しかも豊臣秀吉が私戦を禁じたにも関わらず、政宗は無視して会津を攻めました。このままでは伊達家が滅ぼされる! 危機を感じた義姫は兄に相談します。兄の義光もこのデキる政宗を排除したいと考え義姫にある決断を促しました。

そして政宗が小田原参陣の秀吉に挨拶に出向くことを決め、その前に義姫のもとを訪れたときのこと。そこで出された膳を食べた政宗は腹痛を起こし、解毒剤を飲んで一命を取り留めます。母に毒を盛られたと知った政宗はどう思ったのでしょうか。母を罰する代わりに弟の小次郎を首謀者として討ちとりました。

なんと母と息子の愛憎劇は、母が息子殺しに失敗したあげく、兄弟同士の殺し合いという悲劇へと発展したのです。

事件から4年後、義姫は突然出奔して実家の最上家へ駆け込みます。4年前の事件のせいでは? と思われたのも当然ですよね。

小次郎が死ぬという最悪の結末に義姫の嘆きが聞こえてきそうですが、この毒殺を否定する説もあります。というのも毒殺事件の後も義姫と政宗は、マザコンと息子を溺愛する母のような愛情こまやかなやり取りを行なっているからです。

政宗が不穏の動きがある小次郎一派を粛正した中で毒殺事件という尾ひれがついたのかもしれませんね。あの母ならそんなことをやりかねない!という気丈な性格が災いしたのでしょう。

なおのちに政宗は、最上家が滅亡すると母を引き取っています。

その他

督姫

督姫:Wikipediaより引用

義姫の毒殺は濡れ衣の疑いがありますが、明らかに濡れ衣をきせられて気の毒なのが家康の娘督姫。彼女はバツ1で姫路52万石の池田輝政のもとに嫁ぎ5人の息子をもうけます。

ところが夫の死後、先妻の子利隆が家督を継ぐことに。わが子に継がせたい督姫は毒まんじゅうで利隆を殺そうとします。それを知った忠継がなんと、自らそのまんじゅうを奪い取って食べて死んでしまうのです。息子の行動を見てわが身を恥じた督姫もそのまんじゅうを食べて死んだという何とも悲しいお話です。

これが事実だとしたらそら恐ろしい事件ですが、これは督姫、忠継、利隆が1年以内に続けに死んだため囁かれたうわさに過ぎなかったようなのでご安心を。

甲斐氏

最後に母が子をではなく、孫娘が祖父を毒殺するという事件も。

甲斐宗運:Wikipediaより引用

肥後国(熊本県)に甲斐宗運という武将がいました。この宗運は優れた武将の上、主君阿蘇氏への正義がハンパではありません。主君を裏切った息子を3人も討ち果すという、誰もが家来に持ちたい鉄のような忠誠心を持つ武将。ついには大事な嫡男でさえ殺してしまおうとします。

さすがに嫡男を許したもののこれがとんでもない事件に!

孫娘(長男の娘)が出してくれたお茶を飲んだ宗運、なんと毒死してしまうのです。この毒殺を命じたのは孫娘の母、つまり長男の嫁。この嫁の父も宗運に殺されていた上、夫も舅に殺されてしまうと危機感を感じた果ての凶行だったとか。娘に手を下させるとはひどい母親ですが、嫁は宗運を怨まないという誓詞を出していたため、娘に実行させたようです。

いかがでしたでしょうか。母が息子を毒殺する悲劇。あまり気持ちいいものではありませんよね。でも満天姫も義姫も息子を犠牲にしてでも必死に家を守ろうとしました。宗運の嫁もやられる前にやるしかありませんでした。

お姫様は自分だけじゃない。家臣や一族を守らなければいけません。サバイバルを生き抜くために時には非情にならざるを得なかった女性たちの悲しみが伝わってきます。

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