なぜ石川五右衛門は秀吉によって釜茹での刑で親子一緒に処刑されたのか
歴史上には存在を疑われる人物がたくさんいます。有名な所では真田十勇士でしょうか。あんな超人的な人物がいたら、歴史も面白かったでしょうね。ただモデルはいたかもしれませんが。 石川五右衛門もそのうちの一人です。実際、歴史の教…
歴史上には存在を疑われる人物がたくさんいます。有名な所では真田十勇士でしょうか。あんな超人的な人物がいたら、歴史も面白かったでしょうね。ただモデルはいたかもしれませんが。 石川五右衛門もそのうちの一人です。実際、歴史の教…
慶長19年(1614年)大坂冬の陣、家康は真田が大阪方に参戦したと聞き、思わず問い返します。 「父親(昌幸)の方か、それとも息子(信繁)か」 参戦したのは信繁と聞いて、ほっと胸を撫でおろしたのですが、家康がそれほど昌幸を…
戦国時代と言えば無法地帯…は言い過ぎですが、弱肉強食の時代。 法律などあってないようなもので、まさに「勝てば官軍」な時代。 だからこそ、どの大名も食うか食われるかの中で死力を尽くして家の存続に努めたのですが、ある意味「戦…
真田三代の祖 「真田三代」と言う場合、その初代は真田弾正忠幸隆(さなだだんじょうのじょうゆきたか)を指します。 信濃の国小県郡(ちいさがたごおり)真田(長野県上田市)を発祥地とします。 出自については、信濃…
後北条氏の勢力は北条氏綱(ほうじょううじつな)から氏康(うじやす)の時代にどんどん拡大していきました。 その陰には優秀な家臣たちがいたわけですが、その中でも猛将として名高いのが北条綱成(ほうじょうつなしげ)。 その能力に…
“山内一豊”こう書くとどうしても後に“の妻”と続けたくなるのですが、今回は内助の功で有名な奥様は敢えてスルー。 一豊さんメインで行きます。 風采は上がらないが実は出来る男 この方良い男ぶりとは言いかねる外見だったようです…
結城秀康(ゆうきひでやす)は、徳川家康の二男でありながら、終生「徳川」姓を名乗ることはありませんでした。 本来なら将軍になってもおかしくない地位にありながら、それはどうしてだったんでしょう? 武勇に優れ、義を重んじた人柄…
「美濃のマムシ」と呼ばれ恐れられた「ザ・下剋上」の戦国武将・斎藤道三(さいとうどうさん)。 しかしその最期は、息子に討たれるという悲惨なものでした。 その息子の名は斎藤義龍(さいとうよしたつ)。 2m近くの威風堂々たる体…
奥平という名字を聞くと、 「なんか徳川に近い人…?」 程度にご存知の方は多いかと。 その通り、奥平信昌(おくだいらのぶまさ)は徳川家康の家臣なんですが、彼が歴史に名を残したのは、長篠の戦いでのことでした。 実は家康の娘婿…
賎ヶ岳7本槍といえば加藤清正、福島正則らが有名ですが、そのうちの1人加藤嘉明も、のちに水軍も率いるなどして順調に出世した武将です。 冷静沈着な人となりから「沈勇の士」として称えられ、伊予松山藩主さらに陸奥会津藩主になりま…
最近のコメント