西軍だけどお咎めなし! 朝鮮との国交回復に奔走した宗義智、ホントは国書偽造しましたゴメンナサイの巻

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関ヶ原の戦いで、西軍に参加していた武将の中でお咎めを受けなかった者は島津義弘(しまづよしひろ)くらいの者かと思っていましたが、ここにもいました。宗義智(そうよしとし)。

なぜ彼がお咎めなしだったかというと、対馬(つしま)という領地柄、朝鮮との関係が深かったからなんですね。

しかしこの方、どうにか国交回復させるために相当な裏ワザをやってのけたそうなんです。

今だったら即逮捕というところですが…何はともあれ、朝鮮との国交回復に一役買った彼の人生に迫ってみたいと思います。

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対馬を支配した宗氏

宗氏は、中世からずっと対馬(長崎県)を支配していた一族です。この地は山がちで耕作地が少ないため、収入はもっぱら朝鮮との貿易による利益でした。これを宗氏はほぼ独占してきたのです。

そんな宗氏に、宗義智は誕生しました。永禄11(1568)年のことです。

当時、宗氏17代当主・宗義調(そうよししげ)は李氏朝鮮と条約を結び、貿易の利権を得て宗氏の全盛時代を築いていました。

宗義調:Wikipediaより引用

しかし彼には実子がなく、親戚筋に当たる男子を養子にしていました。これが義智の実兄2人に当たりますが、2人共若くして亡くなってしまいます。そのため、義智が養子に入り跡継ぎとなったのでした。

この時彼は11~12歳ほどだったため、実権は義調が握っていたようです。

そうこうしている間に、海の向こうの本国・日本では、豊臣秀吉による九州征伐が始まりました。

対馬は今で言えば長崎県、九州ですから、宗氏も当然、九州の戦国武将として秀吉の元に参陣するかどうかを迫られたわけです。

そして、義調・義智は秀吉への臣従を選び、対馬の地を保証されたのでした。

秀吉の無茶ぶりにアタフタ

九州征伐の後に小田原征伐を終え、天下統一を成し遂げた秀吉が次に目指したのは、大陸でした。

最終目標は明でしたが、まず手始めに朝鮮を服従させたいという思いを抱いた秀吉は、朝鮮とのつながりが深い義智に交渉役を命じたんです。

しかしこれが、もうハナから朝鮮国王の参内を要求するという無茶なモノでした。

そして、義智が

「そんな…無理…」

と困っている間に、頼りの義父・義調が亡くなってしまいます。

そのため、責任は義智ひとりの肩にのしかかってきたんですよ。

義智は朝鮮の事情をよく理解していましたから、長いこと明に従ってきた朝鮮が、そう簡単に日本に屈するわけもないこともわかっていました。

そのため、何とか朝鮮からの使者を秀吉に会わせようと、義智は朝鮮側に対して

「秀吉の天下統一祝いの挨拶に行ってほしい」

と伝え、どうにか秀吉との謁見にまでこぎつけたんです。

しかし、この来訪が、朝鮮が服属したという意味だとみなしていた秀吉側との間では見解が全く違うわけで、秀吉が

「明進攻への先導役をしろ」

と頼んでも、

朝鮮側は

「ハァ? 」

という感じだったんですね。

義智が何とかしようとしたことはよくわかります。

でも、国同士の意向を捻じ曲げちゃいかんでしょ…と思うわけです。

結局、これで秀吉は朝鮮への侵攻を決断し、文禄・慶長の役へと突入していくことになってしまいました。

文禄・慶長の役での活躍

文禄の役:Wikipediaより引用

文禄元(1592)年に始まった文禄の役では、義智は5千の兵を率いて舅・小西行長(こにしゆきなが)と一番隊に属しました。

破竹の快進撃により次々と相手の拠点を落とし、釜山、次いで都・漢城(ソウル)を制圧し、平壌(ピョンヤン)城まで到達したんです。

朝鮮を援護する明軍も現れましたが、それも撃退するという活躍を見せました。

翌年、4万もの明の援軍に敗れ撤退しますが、その後の碧蹄館(へきていかん)の戦いで日本軍が大勝利を収めると、明では講和気運が高まり、日本側も兵糧不足の問題が発生したため、講和交渉へと入りました。

この交渉の中心にいたのが、義智と舅の小西行長だったんですよ。

しかし、日韓双方の条件が食い違い交渉は難航。2人はなんと国書を改ざんまでして交渉を試みましたが、結局決裂してしまいました。

慶長の役:Wikipediaより引用

そして慶長2(1597)年、慶長の役が始まります。

義智も出陣しましたが、翌年に秀吉が亡くなったため、日本軍は撤退することとなりました。

戦後は再び小西行長と朝鮮との関係回復に努めました。

和議の書状を送ったり、捕虜を送還したりしましたが、朝鮮の反応はなしのつぶて。

対馬は朝鮮との交易で持っていたわけですから、義智としても何とかしようとはしていたんですけどね。

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舅がいるから関ヶ原では西軍へ

関ヶ原の戦い:Wikipediaより引用

義智は朝鮮との国交回復に奔走していましたが、日本国内といえば、朝鮮どころではなくなってきていました。

秀吉の没後は権力争いが起こり、関ヶ原の戦いへと突入していったのです。

義智はやむなく国交回復をいったん横に置いて、西軍へと加わりました。

なぜ西軍に付いたかというと、小西行長が西軍だったからなんですね。

内心、こんな戦よりも対馬と朝鮮の関係の方が大問題だと思っていたでしょうし、秀吉にはけっこうワガママ言われましたし、正直なところ豊臣家への忠誠なんてあまりなかったような気がしますけれどね。

何はともあれ、義智は西軍として伏見城の戦いには参加しました。

ただ、その後の戦は家臣を派遣したのみで、本人は不参加だったようです。

そして、西軍は小早川秀秋の裏切りによって敗北し、西軍の首脳陣だった小西行長は石田三成らと共に斬首となってしまったのでした。

この事実に直面した義智は、小西行長の娘である正室・マリアを離縁します。本意ではなかったでしょうが、逆賊の娘を妻にしていれば自分に咎が及びかねなかったからです。

それでも、実際に西軍武将として参戦してしまったわけですから、ある程度の処罰は覚悟していたことでしょう。

命が助かっても、改易(かいえき/所領没収)か流罪か…というところ。義智最大のピンチでした。

家康の裁定「無罪」

しかし、意外にも家康は寛大な処断を義智に下しました。「無罪」だったんですよ。

しかも、対馬府中藩初代藩主となったんです。

西軍に所属しながら何のお咎めもないというのは、レアです。島津義弘(しまづよしひろ)とかもいますが、彼の場合は本国のお兄ちゃんが上手く徳川方と交渉した結果…というのもありますしね。

とはいえ、家康が義智に厳しい処罰を下さなかったのには、ちゃんと理由がありました。

それはやはり、義智の持つ朝鮮コネクションだったんですよ。

宗氏ほど朝鮮のことをよくわかっている勢力は他にいませんでしたから、これを替えてしまうと江戸幕府と朝鮮との関係に支障が出ることが予想されたんですね。

そのため、義智は引き続き国交回復という重大な任務をまかされたわけです。

まず、彼は朝鮮から派遣された僧を家康と秀忠に伏見城で会わせ、ここで約1400人の捕虜を朝鮮に送還することを取りつけました。

そして、幕府側からの使者として、義智の家臣・柳川調信(やながわしげのぶ)らを派遣したんです。

またも国書偽造!?

ところが、交渉はまたも難航しました。朝鮮側からは日本の国書を持ってこいと言われると、柳川らはなんと国書を偽造して朝鮮側に渡しちゃったんですよ。

もちろん、ここには義智の命令もあったはず…それにしても、それはやっちゃいけないと思うんですが。

しかし、朝鮮側も何となくうさんくさい国書だとはわかっていながらも、国交回復の方がメリットありということで、特にごちゃごちゃ言わなかったんですね。

このなあなあ外交、昔だからこそ成立しちゃったわけです。

こうして辻褄合わせが行われた結果、慶長14(1619)年に日本と朝鮮との間で和平条約が成立したのでした。

国書の偽造は国家のため。

なんてことを義智が思っていたのかどうかはちょっと微妙なところですが、過程はともかく結果が良かったため、彼は幕府から評価され、対馬藩は10万石にまで加増されました。

そして、幕府から独立した機関で朝鮮との貿易が許可されることとなったんですよ。

この翌年、義智は肩の荷が下りて力が抜けたのか、48歳で亡くなりました。

ただ…義智の息子・義成(よしなり)の時代に、国書偽造の一件を家老によって幕府にバラされるという事件が起きたんです。

ただ、幕府としては朝鮮との交易は対馬藩と宗氏に任せた方がいいと判断したため、逆に家老が流罪となり、義成を処分することはありませんでした。

しかし、義成とすれば相当ビビったことでしょう。

「父上なにやってんだよ! 」

と思ったかもしれませんね。

まあ、それでも義智が日本と朝鮮の間を取り持ったことには変わりありませんから…歴史の転換期だったからこそできたワザだったわけです。

まとめ

  1. 対馬を長く支配してきた宗氏に生まれた
  2. 朝鮮を服従させろと秀吉に無茶ぶりされて困った
  3. 文禄・慶長の役では活躍したが、講和交渉には難儀した
  4. 関ヶ原の戦いが起こり、国交回復どころではなく西軍へ
  5. 意外にも家康からはお咎めなしだった
  6. 国書偽造しながらも、結果として朝鮮との国交回復へこぎつけた

義智の持つ朝鮮との貿易ノウハウは、いわば特殊能力みたいなものだったのでしょう。だからこそ、関ヶ原で西軍に付いてもお咎めなしだったわけです。

しかし、国書偽造しても結果オーライで良かったね…とちょっとホッとしたような気もします。今じゃアウトですから!

 
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