本能寺の黒幕に迫る

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天下統一をほぼ手中に収めていた織田信長がこの世を去ったのが1582年。

そうです、「本能寺の変」です。

未だに歴史学者の間でも様々な意見が出ている大きな出来事ですが、果たして「黒幕」は誰なのか?

近年の研究も踏まえながら、黒幕や真実の謎に迫るとしましょう!

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あってはならないけど…朝廷?

 

 

本能寺の変の黒幕説として「朝廷」の存在も挙げられます。

織田信長といえばやはり「権威に囚われない」点が有名です。

かの有名な安土城では天皇を招くべき場所が自分よりも下だったことはあまりにも有名ですよね。

それまで天皇や朝廷はいわば「無条件に敬われるもの」だったのが、織田信長にとっては「自分より下に見せることで、さらに自分の権威に箔を付ける」ための存在になっていた可能性も。

朝廷にとっては歴史・権威共に織田家などとは比べ物にならないものがあるだけに、自分たちのことを敬わない信長に対して何かを思っても不思議ではありません。

…と、これだけであればただの感情論なのですが、「朝廷黒幕説」を実証するためのツールがいくつかあります。

 

まず、当時の朝廷は毎日いわゆる「日記」のようなものをつけていたのですが、本能寺の変の前後一か月分がないとされています。

その理由として、いくら朝廷だからといっても織田信長のようないわば「一民間人」に対してあれこれしたとあっては示しがつかないのので、記録そのものを残さなかった、あるいは紛失という形にしたとも言われています。

また、明智光秀は元々は朝廷と織田家の橋渡し的な存在でもありましたので、朝廷のそのような気持ちは十分に感じていたことも予想されます。

まさに朝廷に対しての「忖度」がったのかもしれません。

 

「このまま信長様が大きくなったらいずれ朝廷が無碍に扱われるのは確実。それなら…」と意を決した可能性もあります。

実際、その後に派遣を握った秀吉とは上手くやっていることを考えると、朝廷が信長に対して思う部分があったことや、秀吉として朝廷に対しては上手くやらなければとの思いがあったことが予想されます。

もちろん推測の域を出ないのですが、それまでの歴史を踏みにじられると思った朝廷が自分たちに対して親切な立場の武将を使って…という話は十分に考えられます。

 

四国征伐阻止のため

 

最近の研究ではこの説が根強いようです。

畿内、つまりは当時の都であった京都周辺を制した信長は、各方面に派遣する軍団を編成。

 

中国地方司令官:羽柴秀吉

北陸地方司令官:柴田勝家

関東地方司令官:滝川一益

四国地方司令官:織田信孝

 

このように、それぞれの地域討伐に最高責任者を指名し、征伐をと考えました。

どの武将も「織田家家臣」ではあっても、その勢力は並の大名以上。

それぞれが各地域で戦果を挙げていたのは言うまでもありませんが、四国に関してはまさに「これから」でした。

 

当時、四国を制しつつあった大名は長宗我部元親。

長宗我部元親:Wikipediaより引用

信長からは「鳥なき島の蝙蝠」、いわば井の中の蛙と評された大名の手にありましたが、長宗我部元親と信長の関係をひも解くと、少々複雑です。

まだまだ元親がそこまでの勢力ではなかったころ、信長に対してしっかりと頭を下げていたので信長も「攻め取った領地は君のものでオッケー♪」と軽く了承した過去がありました。

 

しかし、この言葉を盾に?元親は奮戦。四国征伐もそろそろ完了するといったところで信長は考えが変わりました。

「あ、いつだったかの話やっぱりなしね。だからお前が攻め取った領土、元の領主に返してあげてくれる?」と。

元親からすれば「今更?」という話です。

この話がまとまらず、結局織田家と長宗我部家が激突する運びとなり、四国征伐軍が出来上がりました。

実はこの時、織田家と長宗我部家の間に入っていたのが明智光秀でした。

明智光秀の家臣である斎藤利三と長宗我部元親の家臣である石谷光政が縁戚関係を結ぶなど、光秀はあくまでも「穏便に」と思っていました。

 

しかし、信長は結局は四国攻めを決意。

最近の研究では長宗我部元親も信長の意思に従い、戦で勝ち取った四国の領土を返還する構えがあったとされているのですが、信長は四国征伐を敢行する運びとなったため、明智光秀が「四国征伐STOP」のために本能寺の変を起こしたという説です。

仮に信長が四国征伐を敢行した場合、自分だけではなく両家の仲を取り持とうとした家臣にも危害が及ぶ可能性もあるだけに、信ぴょう性としてはよく分かる話ではあります。

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秀吉黒幕説も?

 

少々「トンでも話」ではあるものの、この二人の黒幕説もあります。

事件が起きた際、一番得した人間を疑うのは今の時代でも常識です。

本能寺の変によって誰が一番得をしたのかと言えば間違いなく秀吉です。

 

織田家の一家臣であった秀吉が実権を握り、最終的には天下を統一する運びとなったのです。

この説が提唱される理由として、まずは秀吉が信長を呼んだ点。

そもそも、毛利戦線は秀吉の圧倒的有利。

本能寺の変は信長が秀吉に請われて中国地方に赴く際に起きたものでしたが、冷静に考えても信長の力を借りずとも毛利を攻め取ることは時間の問題と言っても過言ではありませんでした。

しかし、秀吉は「美味しい所は信長様に」との考えて、苦戦している訳ではないものの「やっぱり信長様がいないとダメです!至急応援して助けて下さい!」と調子の良いことを伝えて信長を中国戦線に駆り立てることに。

つまり、秀吉がSOSを発していなければ本能寺の変そのものが起きていない可能性が高いのです。

 

さらには秀吉の「中国大返し」です。10kmで220kmの行軍は、はっきりいって「規格外」です。

攻め取るつもりだった秀吉が、なぜそこまで帰り支度をしっかりと整えられたのかという点です。一応は本能寺の後、先行帰還部隊が整えたとの話ですが、もしかしたら「いずれ帰る」という頭があったのかもしれません。

もちろんこれはあくまでも「とんでも説」の域を出ないものではありますが、考えるとなかなか面白いのではないでしょうか。

 

 

足利義昭黒幕説…?

足利義昭:Wikipediaより引用

 

織田信長に救援を乞い、信長を京都に招いたものの結局は追い出されることになってしまった室町幕府最後の将軍・足利義昭。

歴史の教科書を見ると、室町幕府は1573年、織田信長によって足利義昭が京都から追放されたことで終了となっていますが、あくまでも「追放」であって、決して命を落とした訳ではありませんでした。

京都を追放された足利義昭はその後、毛利家に匿われていました。

 

しかし、腐っても「将軍」です。

その権力はまだまだ健在だったこともあり、様々な手を尽くしたのではないかとの説もあります。

特に明智光秀はかつては自分の部下だったのです。

「隙を見て…分かるよな?」といったことを考えても決しておかしくはありません。

光秀としても、最近は少々専横が目立ってきた信長よりも、足利将軍の方が自分にも京の都の人々や朝廷にも丁度良いのでは…と考えて、やはりこちらも何かしらの「忖度」があったと考えてもおかしくはありません。

 

まとめ

 

いくつかの「黒幕」の話をまとめてみました。

もちろんどれも「そうなのではないか」とするもので、決定的なものではありません。

それこそ明智光秀本人に聞かなければ分からないことですが、残された史料や当時の状況。本能寺の変前後の人間関係の変化から、誰が得をして誰が損をして、どのような状況の変化が生まれたのかを考えると、黒幕の存在もおぼろげながらに見えてくるのではないでしょうか。

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