若い頃、ど派手なパフォーマーで秀吉と対峙し、3度のピンチを乗り切った政宗。
秀吉の死後、政宗の野心がまた燃え上がり・・・。
今回の相手は徳川家。この徳川相手に政宗がスケールの大きな計画で大暴れします。
秀吉の時とはガラリと変えた政宗のピンチ脱出術もごらんあれ。
関ヶ原合戦でまさかの味方討ち!?
豊臣秀吉には、ちょっかいを出しては全力で謝り、何とか許されるというパターンを繰り返していた政宗。
では家康相手にどのようなパフォーマンスを見せるのか気になりますよね。
秀吉が亡くなった2年後、関ヶ原合戦が起こります。
この時、政宗は「チャンスが来た!」とゾクゾクしたかもしれませんね。
政宗は味方した徳川家康(東軍)から俗にいう百万石のお墨付きをもらい、暗躍を始めます。
ただし政宗のために弁護しておくと、家康があげると約束した領土はその時点で敵の上杉領。
つまり上杉氏を倒さない限りもらえないので、政宗としては本当に大丈夫?ヤルヤル詐欺では?と気が気ではなく、自分から取りにいこうとしたわけです。
ちなみにこの時の政宗は33歳でしたが、やんちゃぶりは健在。政宗は、合戦に備え急遽上方からわずか数十騎で帰国しますが、その帰路にライバル、相馬氏の領地がありました。
静かに通り抜ければ良いのでしょうがそこは政宗。
「コソコソ隠れて進むのはごめんだ」とばかり、相馬氏に「泊まらせてほしい」とわざわざ申し入れます。
相馬氏ではこの機会に政宗を討ち取れと大騒ぎ。
それを当主が押しとどめますが、気がおさまらない家臣たちは、深夜にまるで敵が襲撃してきたかのような騒ぎを起こして嫌がらせを仕掛けます。
ところが政宗はゆったりと寝巻き姿で出てきて「寝られないから静かにしてくれ」と一言。政宗の慌てぶりを見ようとした相馬家臣たちを黙らせました。
じつはこのとき、政宗は国境に兵を張り巡らせていたそうですから、敵をおちょくって楽しんでいたのは政宗だったのでしょう。
帰国した政宗は、天下争乱の動きに「国盗りのチャンス!」と湧きたちます。
同じ東軍に属した山形の最上家から「西軍の上杉から攻められている。助けて」と救援要請が来ました。
片倉小十郎:Wikipediaより引用
このとき、政宗の側近の片倉小十郎は「最上を討ち取って疲れた上杉の直江勢を討てば、上杉景勝も討伐しやすくなる。
そうすれば最上と上杉の所領が手に入る。今は救援に行くべきではない」と進言します。
もし最上、上杉領が手に入ればすべて合わせた伊達領は200万石をこえ、家康と肩を並べることに。
ところが政宗はこれに反対。「山形には母もいるし、これは家康公の戦いだから」と神妙に答えて援軍を山形へ差し向けます。
ただしだまされてはいけません。
じつは小十郎の上をいく悪だくみ。援軍には「戦いには軽率に参加しないでね」と指示しておいたのです。
つまり、一応徳川にも最上にも「救援に行きましたからー」とアリバイを作った上で、様子を見て、いただけるところから奪っちゃおうというエグイ作戦です。
ところが関ヶ原の戦いがわずか1日で終了したため、政宗の計画はすべてオジャン。
東軍の政宗ですが、本音は「西軍もっと頑張れよ」と悔しがったのではないでしょうか。
ただしここから伊達・信濃郡に侵攻するなど、旧領奪回に動きます。
さらに、旧南部領主だった和賀氏に、南部領に攻め込ませました。
今の南部氏は政宗と同じ東軍に属しているのでなんと味方討ち! いいの?と言いたくなりますが、「そんなの関係ねえー」と政宗はいまだ戦国爆走中です。
ところが家康に味方討ちのことがばれて大慌て。派手なパフォーマンスで謝罪?と思いきや上司によって対応をがらりと変えるのも政宗の得意技。
神妙に恭順しながら、この件を「なかったことにしよう」と頭を巡らせます。証拠が二度と出てこないように、江戸に証人喚問に呼ばれた和賀氏を自害させました。(政宗が殺害したとも)。
こうして事件を地味に闇から闇へと葬ったのですが、家康にはすべてお見通しだったのでしょう。2万石の加増にとどまりました。
天下乗っ取り計画!?
これからは徳川の世だ!と思った政宗は百万石をもらいそこねた悔しさを抑え、長女五郎八姫を家康の子の松平忠輝と結婚させ、さらに嫡男忠宗と家康の養女の婚約を成立させるなど、家康に近づいて信頼を得ていきます。
相手の懐に入るうまさも政宗の魅力です。
こうして徳川家に服従を誓う一方、水面下で「野望パーティを始めました!」。
なんと娘婿の忠輝を盟主に、その後見人で徳川家の金山奉行の大久保長安と組んで幕府転覆の野望を抱き始めたのです。
大久保長安は徳川家の金山奉行。
莫大な金銀を蓄財しており、それを資金源に天下を狙う政宗好みのスケールの大きな計画です。
ところが幕府も政宗のきな臭さに気づいていたのか、大久保長安の死後、長安に謀反の疑いありとして、大久保一族を処罰。
蓄財していた莫大な金銀を没収します。
慶長遣欧使節団でスペインへ
しかし政宗はひとりパーティ続けます。
じつはもっとドでかい計画がありました。
それは無敵艦隊の海軍を持つスペインに軍事援助を求めること。
しかも政宗はまんまと幕府が交易のためメキシコへと派遣する計画に便乗して、合法的にスペイン、ローマまで使節を派遣します。
これが慶長遣欧使節団で、使節として支倉常長を送り込みました。
支倉常長:Wikipediaより引用
この使節団、各国でかなり激ヤバな言動をとっています。
副使で宣教師のソテロが「政宗という奥州の王はいずれ皇帝になる」と話したり、常長はスペイン国王の前で「奥州をスペイン王の配下に入れ、スペインの軍事力を背景に日本全土を制圧したい」と演説したり・・・。
まさに大事件!パーリーピーポー政宗、世界を動かそうとしていました。
世界からの返事待ち?の政宗ですが、国内は徳川家の天下へと最終コーナーに差し掛かっていました。豊臣家を滅ぼした大坂の陣で、政宗は徳川方として参戦していましたが、ここでもわが道まっしぐら。
退却してきた徳川方(味方)の神保隊を政宗が「邪魔だよ」と一斉射撃して全滅させるというまさかの裏切り。
さらに戦後、豊臣方の真田信繁の遺児を何人も匿っています。
多くの大名が徳川家に心服するなか、政宗だけはいまだ反抗期。「徳川にスンナリ勝たせたくないんだよなー」という政宗のつぶやきが聞こえそうです。
そんな政宗の反抗的な態度は世間にもダダモレで、家康が亡くなると、政宗謀反の噂が飛び交い一時は騒然としたほど。
政宗も一戦を覚悟していたのか、徳川迎撃戦略を想定していたとも。
仙台川をせきとめて街を水びだしにして幕府軍の進撃を食い止め、後方から襲撃する。
持久戦になれば狭い牝鹿半島に引き込んで、その間に全国のキリシタンや豊臣系の武将が立ち上がり、幕府をひっくり返す。
もし敗れた時の切腹の場は松島瑞巌寺・・・まで決めていたともいわれています。
戦は起こりませんでしたが、幕府は思わぬ手に出ます。
なんと不行跡を理由に忠輝を改易にしたのです。徳川一族を切り捨てる形で政宗をけん制したのでしょう。
こうして長安、忠輝の処罰とじわじわ政宗の首を真綿でしめながら「政宗。もう何もできないだろう」と、幕府の一睨み。
政宗は「何のこれしき」とスペインからの返事を待ちわびます。
しかし最後の望みを託したスペインからの返事はまさかのノー。こうして政宗の一人パーティもお開きになりました。
スペインを巻き込んだ天下奪回計画が本当にあったのかどうか、今となっては分かりません。
分かっていたら幕府も許さないでしょう(笑)。しかし政宗ならやりかねない!と考えると、ロマンがありますよね。
ここからの政宗の変わり身の早いこと! 今まで海外からの援助を得るために、幕府に逆らってまで伊達領内で匿っていたキリシタンを常長の帰国後、突然弾圧しています。
生き残りサバイバル
政宗は戦国国盗り人生から伊達家の生き残りサバイバルへとギアチェンジ。領国統治にまい進し、江戸幕府を支えます。
徳川家に対するパフォーマンスは100点満点。
野望を抱く一方で、以前から江戸にしばしば出向いて徳川家のご機嫌をうかがい、まめに手紙を送るなどの地道なコミュニケーションを重ねていました。
政宗が危険視されても生き残れたのは、この地味なヨイショアピールが徳川家の心をつかんでいたこともあるでしょう。
仙台城に天守閣を造らない理由について、「徳川家があるので不要」と徳川家の側近に手紙を書き送っています。
かつて磔をかついだり、この首を持ってけーと啖呵を切ったりした人物と同じ?(笑)。
これをせっせと続けて徳川家の信頼を勝ちとり、3代将軍家光が将軍に就任した際には、諸侯の前で「家光公に逆らう者あれば、この政宗が倒す」と一喝し、家光を感激させています。
政宗はしっかり相手を見ながら、戦いも謝罪も外交もいつも思いっきり振り切って全力。
それがこれだけ反抗しても、気に入られる生き残り術の秘訣なのかもしれません。
政宗は晩年、おいしいポジションをゲットします。
パーティはお開きになりましたが、その余韻は意外な形で続きました。なんと政宗は晩年、武将暴れキャラを活かしてエンターテイナーに!
数々の武勇伝を語って大名や旗本たちからチヤホヤされ、武勇好きの家光からも信頼されています。
暴れておいてよかった!と思ったかどうかはともかく、政宗のことですから盛り話や大ホラをぶっこんで、面白おかしくトークをしたことでしょう。
まとめ
秀吉、家康に服従しているように見せかけて、その裏でつねに一瞬のチャンスも見逃さず果敢に暴れ回った政宗。
失敗してもつねに貪欲に前に進む姿勢や茶目っ気のあるパフォーマンスは戦国武将らしい傾奇者キャラ。
ついには世界まで動かそう?としたツワモノながら父祖伝来の地、奥州に仙台藩62万石をゲットしたしたたかさもありました。
そんなこんなは最後、ぜーんぶ戦国の愛されキャラということで、けむに巻いちゃいました。
恐るべしエンターテイナー政宗ですね。
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