伊達政宗の意外な一面!実は料理研究家?そして現代のメール魔だった!?

Pocket

好きな戦国武将トップ5、いや、トップ3に名を連ねることが多い、大人気の伊達政宗。右目に眼帯をつけた「独眼竜」の異名もよく知られていますよね。豊臣秀吉の招集に遅刻して怒られたり、こっそり一揆を起こさせて領地を広げようとしたり、食えない部分が多い彼ですが、生まれてくるのが10年早かったら、天下を狙えたとも言われているくらいです。

そんな政宗、やっぱりちょっと変わったところがありました。特に食へのこだわりは相当だったようですよ。そして尋常ならざる筆まめぶり。さらに政宗に親近感を覚えるエピソードをご紹介します!

スポンサーリンク

今に伝わる仙台名物を開発!

政宗が考案したと伝わる(諸説ありますが)食べ物はけっこうあります。

まずは仙台味噌。仙台城に移るとすぐに城下に大きな味噌蔵を建てさせ、味噌の生産を初めて確立させた人物こそ、政宗なんですよ。

というのも、当時、戦に兵糧は欠かせないもので、特に米と味噌は必需品でした。しかし味噌は夏場に腐ってしまうので、塩分と米麹をたっぷり使った仙台味噌を開発したのだとか。そのため、朝鮮出兵の時に他の大名たちが持参した味噌はすぐに悪くなってしまいましたが、伊達家のものは大丈夫だったという話もあるくらいなんですよ。

 

また、仙台名物のスイーツ「ずんだ餅」も政宗考案と言われていますね。枝豆をすりつぶした餡を使った餅菓子で、きれいな緑色が特徴です。

大河ドラマ「真田丸」を見ていた方は覚えているかもしれませんが、政宗が豊臣秀吉に献上していました。

なぜ「ずんだ」なのかというと、政宗が「陣太刀(じんたち/刀の外装)」で枝豆を砕いて食べたという話があり、「じんたち→じんだづ→じんだ/ずんだ」となったんだそうですよ。

 

それだけではなく、「凍み豆腐(高野豆腐)」や「笹かまぼこ」の考案説もあります。

根拠がはっきりしない部分もありますが、それだけ政宗が食にこだわったことがわかりますよね。

仙台へ行かれた際は、ぜひこれらをご賞味あれ。

 

自ら台所に立つ「現代版・速水もこみち」

政宗の名言のひとつに、「少しも料理心なきはつたなき心なり」というものがあります。

「料理の心得が少しもない者は、心も貧しい」といった意味ですね。

 

そんなモットーを持ち合わせた政宗は、なんと自ら台所に立っていたとも言われているんです。たすき掛けして、すごい勢いで千切りとかしそうですね。調味料とかやたら高いとこから入れたりしそうですし、どこか速水もこみちさんっぽい姿を想像してしまいます。そんな主を心配そうに見守る家臣たちの姿まで、目に浮かんできませんか?

 

そこまで料理にこだわるがゆえに、政宗は朝、トイレに入ると2時間出てこなかったんだそうですよ。何をしてたかって、メニューを考えていたからなんです。ちゃんと紙やすずりが用意されていたんですって。確かに、トイレってけっこう落ち着くし考えもまとまるんですよね。それはわかりますが、2時間は、長すぎです…。

 

政宗流の「お・も・て・な・し」

料理に関してこだわりありまくりの政宗、まだモットーがありました。

 

「馳走とは、旬のものをさりげなく出し、主人自らが調理してもてなすことである」

 

これを校訓にしている調理学校もあるくらいなんですよ。もはや、戦国大名の言葉とは思えないレベルに達しています。美食家兼料理人ですよね。

 

そして、政宗は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠を自分の屋敷に招いた折、自らお膳を運んできたそうです。

ところが、将軍のお付きの者が、政宗自ら毒見をしてくれと言い出します。まあ、確かにこの時代は毒見が当然でしたが…。

それが政宗を激怒させました。

「10年前なら謀反でも起こして天下を取ろうという野心もあったが、それでも毒を盛るなんてことは考えてなかったぞ!!」

そうですよね、あんなモットーがあるのに、毒を盛るなんて美学に反することはしませんよ。政宗はそういう人です。

スポンサーリンク

正月は派手に、ふだんは質素に

将軍に出すような、おもてなしのお膳や、伊達家のおせち料理のお膳は、1・2・3の膳があったそうですよ。3汁16菜とも、60品目を超えていたとも言われており、質素の基本・1汁3菜とはだいぶ違ったようです。

 

ただ、ふだんは質素なメニューを心がけていたそうですよ。

そしてここにも名言が。

 

「朝夕の食事うまからずとも、ほめて食うべし(朝晩の食事がまずくても、うまいと誉めながら食べるべし。そうすればけっこう美味しくなるものだ)」

 

なんか、深いですね…!私たちも心がけたいものです。

 

そのようにして、健康に気を遣っていた政宗は、当時は薬とされていたタバコを1日3回(朝・昼・晩)吸っていたそうです。愛用のキセルも残っているんですよ。ただ、現代ではタバコが薬だなんて有り得ない話ですが…。

 

ただ、ゲテモノ食いが流行った時に政宗もそれに乗っかり、「子ネズミの味噌汁」とやらを飲んで食あたりを起こし、危篤状態にまでなったこともあったそうです。

食に一家言あり、という人ですから何でも試してみたかったのでしょうが、呆れるのを通り越して笑うしかないですよね。

 

酒に弱い酒好き

一方、政宗はお酒も好きでした。杜氏を雇って酒の醸造所まで造ったんですよ。

しかしあまり強くはなかったようで、二日酔いで秀忠との面会をドタキャン(仮病使いました)したり、3代将軍・家光の前で酔っ払って寝てしまったりしたこともあったとか。

 

ある仲の良い大名には、「朝から夕方まで飲んでたので、フラフラでお伺いできません」なんて手紙を出したりもしています。

弱いならやめとけばいいのに…とお酒を飲まない私は思いますが、好きな人にはやめられない楽しみだったんでしょうね。

 

さて、手紙が出てきたので、次は政宗と手紙についてご紹介しましょう。

 

尋常ならざる筆まめぶり:現代のメール魔か!?

政宗が生涯に出した手紙は1000通を超えると言われています。しかもそれがたくさん残っているんですよ。ふつう、戦国大名の手紙って残っていても数十通程度なんですが、政宗はそんなもんじゃありません。しかも直筆が多いんですって。

宛先は様々ですが、家族や家臣、同僚の戦国大名などいろいろです。実母・義姫(よしひめ)には暗殺されそうになったなんて話もありますが、その後もちゃんと手紙のやり取りがあるので、暗殺未遂事件自体が作り話だったんじゃないかとも言われているんですよ。

 

そして、その政宗の手紙の内容が面白いんです。

本当に、「どうでもいいでしょ、それ」な話題ばっかりなんですよ。そのせいか、「即火中(読んだら燃やしてくれ)」と政宗は書いているんですが、受け取った相手がきちんと取っておいたので現代に残ってしまったという…。

 

例えば、「お付きの者たちと腕相撲をしたせいで、手が震えて手紙を書くのが大変。いまもやっと書いている」とか、「誤字脱字が多くて恥ずかしいから、読んだら燃やしてくれ」とか。

また、「たくさん書いたのでスペースがなくなっちゃって、花押(かおう)が小さいけれどこれはちゃんとした政宗の手紙です」とか、「花押を書き間違えたけど、(直すのが面倒だから)そのまま送ります」とか、そんなこと付け加えなくてもいいようなことまで書いています。

花押とは当時の署名でしたし、正式な文書に必要なものでしたから、書き間違えってダメだと思うんですが…政宗だから、いいんでしょう。

 

ラブレターまで残ってた!(相手は小姓)

本当に色々な内容の手紙が残されている政宗ですが、きわめつけは、小姓に送った手紙です。

小姓とは、主の側で身の回りの世話をする少年のこと。美少年もたくさんいました。当時、日本では主と小姓の関係というのは公然の秘密的なものでしたから、政宗もその例に漏れなかったわけですね。

 

で、内容はというと…

 

「酒の席でお前の浮気を疑ってすまなかった。本当なら指とか腕とか股を刀で突いて気持ちを示したいところだけれど、こんな年(もう孫がいたらしい)でそんなことをするのも恥ずかしいのだ。だから、起請文(きしょうもん/神への誓い)を書いたので、血判を押してお前に送る。ごめんなさい」

 

天下に聞こえた独眼竜が、こんなラブレターを書いていたとは…ちょっと見る目が変わるかも。でも、なんだか可愛いなとも思ってしまいます。

 

 

まとめ

  • 仙台名物の発案者とも言われている
  • 自らメニューを考え、台所に立っていた
  • 自分流のおもてなしのモットーがあった
  • おせち料理は豪華だけれど普段は質素な食事を心がけていた
  • 弱いくせに酒好きで、失敗もあった
  • 筆まめぶりが半端なかった
  • 小姓にラブレターを出していた

 

カッコいい政宗像が、少し変わりましたか?

 

でも、とても人間的な魅力のある人だったことが伝わってきますよね。今も絶大な人気を誇る戦国大名のひとりである理由は、このへんにもあるのかなと思います。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。