戦国武将の中でダンディ、カッコいい武将として名が挙がるのが伊達政宗ではないでしょうか?
天下の覇者という記録はムリでも権勢に抗い続けた反骨精神で、後世まで記憶に残る武将になりました。
しかも現代のユーチューバ―顔負けのパフォーマンスで何度も崖っぷちから蘇ったスーパーヒーロー。
今回は胸のすくような度胸と行動力で、3度のピンチを乗り越えたハラハラドキドキの政宗ワールドの一端をたどってみましょう。
政宗といえば、白装束(死装束)で秀吉の前に登場したり、金箔張りの磔柱を担いで弁明に出向いたりと世間をアッと驚かせる登場シーンで有名ですよね。
もちろん人を驚かせるドッキリ、あるいは「イイネ」をもらうための演出でもありません。それどころかこういう時の政宗は、命も危うい危機一髪なのです。
小田原参陣の遅れを謝るため白装束で秀吉のもとへ。
一揆の扇動を疑われ、釈明のために磔柱を担いで秀吉のもとへ。
秀次事件への関与を疑われると啖呵を切って「首を持ってけー」。
こういう状態なので、本人は最大の恭順の意を示そうといたって大真面目。開き直ってド派手なパフォーマンスを見せつける度胸、さすが政宗サマ!そのカッコよさにノックアウトされちゃいます。
ただし、1つ言っておきますが、この崖っぷちを創り出しているのはある意味、政宗自身です。いつも胸にあつーい野望をメラメラと秘めていたロックな性格のため、自ら地雷を踏んでデンジャラスな場面にダイブ! 「またやっちまったよー」と家臣の嘆きが聞こえてきそうです。
父を殺し母に殺されかけたドロドロ期
波乱万丈マジ好み♪ を地で行く政宗ですが、それも仕方ないかもしれませんね。なぜなら幼少期から昼メロドラマもびっくりのデンジャラスな人生でした。
奥州探題という名家の出羽米沢城主伊達輝宗と正室義姫の間の嫡男として生まれますが、幼少期に片目を失明すると、その眼球をえぐり出し独眼竜の異名を持つという破天荒さ。18歳で家督を継いですぐに、敵もろとも父を殺し、弟を溺愛する母には毒殺されかけたあげく、弟小次郎を自らがぶった斬るというドロドロ人生。
これらは今では一部違うのでは?という説もありますが、こんなどん底の境遇も跳ね返して勇ましい武将として成長。家督相続の後、イケイケドンドンで周囲に攻め込み、数年で奥州を席巻するというアグレッシブな快進撃。
奥州に麒麟児、政宗あり!の名が響き渡ります。
小田原参陣で大遅刻
さあ、いよいよ関東へ進出!と新たな門を開いた瞬間、なんと無情にも鳴り響いたのはタイムアーーーップ、天下統一終了のホイッスル。
この時、政宗の前に立ちはだかったのは天下統一目前の豊臣秀吉でした。秀吉は統一の総仕上げとして小田原攻めを始め、奥州の大名にも参陣を促してきたのです。自分の配下に入る?それとも戦う?
政宗は簡単に「はい従います」と恭順したくありません。「いいところなんだからあ。もうちょい」と戦いを進めているうちに、ロスタイムの笛が響き・・・。すっ飛んで秀吉の元へ向かうも、母に殺されかけるというアクシデントもあり、到着した時にはすでに小田原攻めも終了寸前という大遅刻。
秀吉に会ってももらえず生きた心地がしなかったでしょう。ところが政宗はあきらめません。意気消沈することなく、渾身の謝罪パフォーマンスを発揮します。まずは詰問しにきた前田利家に対し、隣国との緊張のため遅れたときちんと弁明しつつ、千利休からお茶を習いたいとおねだりします。
これを聞いた茶湯を愛する秀吉は「田舎者なのに立派だ」と感心し、少し心証を良くしたようです。
おかげで何とか秀吉と対面がかないます。そして秀吉との対面の時。現れた政宗はなんと髻を水引で結び、白装束、つまり死装束をまとっていました。「死ぬ覚悟があります」という政宗の大胆不敵な登場に一同あ然。しかしパフォーマンス好きの秀吉の心はしっかりゲット!「あと一歩遅ければ首が危なかったなあ」と政宗の首をトントン叩きながら笑って許しました。
いやー良かったと観戦者はホッと胸をなでおろしますが、政宗、じつはスリルがお好きなのではないかという疑いも。なぜなら政宗は「あー怖かった。ひやひやした」と言いながら、この後の宇都宮城攻めでも大遅刻。「予想外でした。徹夜で向かいますから」と秀吉には手紙で必死に弁明していますが・・・反省しない男なのか、たんなるオッチョコチョイなのか。それはこの後の人生を見みてからご判定あれ。
大崎・葛西領で一揆の扇動を疑われ
第2のピンチは小田原城が陥落した後のことでした。秀吉は伊達所属だった大崎と葛西両氏の領地を木村吉清という人物に与えます。ところが木村氏は支配に失敗。一揆が起こったため、政宗は蒲生氏郷らとこの一揆鎮圧に向かいます・・・が、政宗が素直に一揆鎮圧に尽力すると思ったら甘い甘い。何せ政宗には「この領地は元々俺のもの」という気持ちがあります。そのため自分が一揆鎮圧の功績でもってこの地を取り返そうともくろみ、裏で一揆をあおっていたとも。まさに表で鎮圧、裏で扇動という恐ろしい二枚舌ですが、政宗が一揆勢に出したという密書が氏郷の手に渡ってしまいます。この報告を受けた秀吉は大激怒。
政宗は弁明のため上洛しますが、今回は証拠もあり、かなりヤバイ状況です。今度は政宗、死装束をまとった上、金箔張りの大きい磔柱を押し立てるというもはや受け狙い?としか思えないコスプレで登場します。
このコスプレ姿、政宗ワールドの始まりでした。証拠の密書を前に詰問された政宗、あわや土俵際かと思いきやなんと二の手を放ちます。「この書状は偽物です。私は書状が偽造されないよう、花押のセキレイの目に針で穴をあけています。しかし証拠の手紙に穴はありません」と申し開きをしたのです。
そこで秀吉が保存してある政宗の書状をいくつかもってこさせて確かめたところ、「マジ?」確かに針の穴がありました。ということでこの密書は偽物ということになりました。
あらかじめこの計画を見越して2種類の花押を仕込んでいたとしたら悪魔レベルのずる賢さ。ただし現在、穴のあいた書状はどこからも見つかっていないのだとか。
ということは、もしかしたら政宗一世一代の大ウソ芝居に秀吉も乗っかり、面倒そうなニオイしかしない東北争乱のフタを・・・そっとしめたのかもしれませんね。
でも、こんな大芝居が成功したのも磔柱で不思議な政宗ワールドへと人々を引きこんでいたからこそ。「政宗ならあるかも」と思わせる力技、悪魔のような策略家です。
秀次事件の連座
豊臣秀次:Wikipediaより引用
政宗3度目の窮地は、秀次謀反への関与疑惑です。秀吉の甥で関白を譲られていた秀次は謀反の罪で処罰されました。政宗は秀次と懇意にしていたため、一味だったのではないかと疑われ、世間では今度こそ政宗が切腹させられるという噂が飛び交います。
単に次の政権者秀次と仲良くしようしただけなのにと政宗の嘆きが聞こえそうですが、秀吉はカンカンです。
政宗は家康に助命嘆願をお願いする一方、反骨精神を見せつけます。秀吉の使者に向かって「太閤殿下でさえ秀次の資質を見誤られたのだ。片目の政宗がそれを見抜けなかったのは仕方ないことだ。それでも納得いかないのならこの首、持っていけ」と啖呵を切ったとか。
秀吉は伊達家を四国へ移し、政宗を遠流にしようと考えるようになります。
ここで政宗は大胆にも京都の町を舞台にした政宗ワールドを繰り広げます。京都では政宗が京を焼きはらって斬り死にするのではないかという噂が広まり、市中に動揺が広がりました。家康の助言で、伊達家の門は不安解消のために開けていましたが、門内には武装した兵があふれ、訪れた秀吉の使者に対して政宗は「家臣たちは知らない南国に行かされるくらいなら討ち死にすると言い張り自分が制止しても聞かない」と涙を流す迫真の演技。さらに家康の屋敷の前に「最上義光と政宗に秀吉暗殺計画あり」といった不穏な高札が立つという事態に!
秀吉の怒りがマックスと思いきや、秀吉はまたもや内乱にそっとフタをしました。家康の嘆願も効いたらしく、こんな高札が立つのはかえって無実である証拠だと言って許したようです。
この挽回策は家康との共同作戦だったとされますが、派手なパフォーマンスで何とか寄り切りましたよね。
ただし政宗がここまで追い詰められたのも、日ごろの言動が暴走気味だからです(笑)。
まとめ
政宗の家臣をしていたら胃が痛くなりそうですよね。自信過剰なのか猪突猛進型なのか、危険地帯にダイブしてはピンチに陥る政宗。外から見たら戒めたくなりますが、戦国時代ですもの。チャンスがあれば狙って何が悪いと怒られそう。「スリルに飛び込まなきゃ何も得られないんだよ!俺が戦国武将の魂見せてくれるわ!」と崖っぷちから蘇っては戦国を突き進み続けます。
ただし政宗のために弁護しておくと、水面下では危機回避のための細かい対策を打っています。小田原参陣でも秀吉のお茶好きを知った上でお茶の指導をおねだりしたり、ピンチになった時には多方面に助命を嘆願したりと細心の努力を重ねているのです。
その上で、真摯にかつ全力での謝罪パフォーマンスをぶっこむ。誰も思いつかない派手な演出で政宗なりの最大の謝罪の気持ちを示したわけです。あるいはわざと武装して捨て身で秀吉と対峙しようとする。その破天荒さのおかげで、水面下で足をばたつかせている策略家の面が全部吹っ飛び、なんかおもろい奴とだまされてしまいます。
正攻法をとりつつ人間的な魅力を押し出した奇策で相手を味方につける一手。現代の危機管理能力者にほしいくらいうまくバランスとれています。
こんな大胆なパフォーマンスができたのも政宗が、先進的な考えをもち度胸もある武将だったからこそ。「そんなコスプレなんかできるかっ」「磔柱かつぐなんてバカみたいだ」などと尻込みするような旧態依然の武将には思いもつかないしできませんよね。旧態の武将ならばここまでピンチを作ることはなかったというジレンマもありますが(笑)。
でも、多くの分別ある武将たちが秀吉に臣従し戦国を終わらせていくなかで、表向き従いながらも本音では領土拡大を狙い熱い野望をメラメラさせ続けた政宗は、生粋の戦国武将といえます。それを隠そうともせず、危なっかしい所も政宗らしいところ。その上でピンチも大胆さと度胸で乗り越え、個性あふれる魅力で戦国を駆け抜ける政宗はやはりナイスガイ。
ああ、やはりダマされてしまいます。こうして後世の人々の記憶にも残る政宗は、戦国最大の人たらしのエンターテイナーだったのかもしれませんね。
今回はピンチを乗り越える大胆さと個性が際立ちましたが、秀吉没後の混乱期に政宗の野望はさらに燃え上がり第2ラウンドへ。今度は狙うは天下!とばかり、政宗の暴走、いえ反骨精神はさらに激しくなります。大胆な計画で家康の肝を冷やしますが、それはまたいつか・・・。
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