真田三代、小さき一族の矜持 真田信繁(幸村)日本一の兵(ひのもといちのつわもの)前編
慶長19年(1614年)大坂冬の陣、家康は真田が大阪方に参戦したと聞き、思わず問い返します。 「父親(昌幸)の方か、それとも息子(信繁)か」 参戦したのは信繁と聞いて、ほっと胸を撫でおろしたのですが、家康がそれほど昌幸を…
慶長19年(1614年)大坂冬の陣、家康は真田が大阪方に参戦したと聞き、思わず問い返します。 「父親(昌幸)の方か、それとも息子(信繁)か」 参戦したのは信繁と聞いて、ほっと胸を撫でおろしたのですが、家康がそれほど昌幸を…
戦国時代と言えば無法地帯…は言い過ぎですが、弱肉強食の時代。 法律などあってないようなもので、まさに「勝てば官軍」な時代。 だからこそ、どの大名も食うか食われるかの中で死力を尽くして家の存続に努めたのですが、ある意味「戦…
真田三代の祖 「真田三代」と言う場合、その初代は真田弾正忠幸隆(さなだだんじょうのじょうゆきたか)を指します。 信濃の国小県郡(ちいさがたごおり)真田(長野県上田市)を発祥地とします。 出自については、信濃…
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