長野県歌にも登場! 最後まで兄を見捨てず戦った仁科盛信の忠義に涙
武田信玄亡き後、武田氏は勝頼(かつより)の代で滅亡を迎えました。 天下統一をうかがえる位置にいた戦国大名の急速な凋落は衝撃的でしたが、その転落劇の陰には、最後まで主君を支えようとした家臣がいたんです。 その最たる人物が、…
武田信玄亡き後、武田氏は勝頼(かつより)の代で滅亡を迎えました。 天下統一をうかがえる位置にいた戦国大名の急速な凋落は衝撃的でしたが、その転落劇の陰には、最後まで主君を支えようとした家臣がいたんです。 その最たる人物が、…
関ヶ原の戦いで、西軍に参加していた武将の中でお咎めを受けなかった者は島津義弘(しまづよしひろ)くらいの者かと思っていましたが、ここにもいました。宗義智(そうよしとし)。 なぜ彼がお咎めなしだったかというと、対馬(つしま)…
江戸初期、天下のご意見番として名を馳せた彦左こと大久保彦左衛門。 代々松平・徳川家に仕えた三河譜代の武士にて、忠義一徹で頑固なザ・武士のイメージですよね。しかしその忠義の裏にはあるふつふつとしたブラックな思いが! 彦左衛…
戦国時代の島津氏の快進撃は、当主島津義久とその兄弟あってこそのものでしたが、彼らを支えた有能な家臣がいたことも忘れちゃいけません。 その中のひとり・新納忠元(にいろただもと)は、島津の大事な戦にはほぼすべて参加していた勇…
戦国時代の合戦では、多くの奇策が用いられ、後世の語り草となりました。 関東に覇を唱えた北条早雲(ほうじょうそううん)が小田原城奪取の際、牛の角にたいまつを付けて放ち、大軍の襲来に見せかけたなんて話もありますね。 今回ご紹…
関東でも屈指の名門・宇都宮家。栃木県の県庁所在地・宇都宮市の名にもなっているくらいですから、昔からこの地に根付いていたことがわかります。餃子やバスケ、自転車などで有名な宇都宮市ですが、街としての原型をつくり上げたのが、宇…
2015年に国宝となった松江城を築城した戦国武将堀尾吉晴。地味な存在ながら、牢人から大名へと勝ち上がった戦国ドリームを叶えた武将です。 成功のヒケツは、秀吉と一緒にがむしゃらに戦って出世街道を驀進しながらも、決して謙虚さ…
中国地方の覇者・毛利元就(もうりもとなり)を語る上で欠かせないのが、今回ご紹介する渡辺勝(わたなべすぐる)・通(かよう/とおる)父子。 2人とも毛利家臣でしたが、歩んだ人生は真逆と言ってもいいものでした。父は毛利に背き、…
基本的に、毛利元就(もうりもとなり)の子供たちはみんな名将なんですが、そんな名将揃いの毛利一族の中でも、毛利秀包(ちょっとマイナーな知名度ではありますが)の武勇はピカイチでした。本来は小早川家を継ぐはずだった彼。しかし、…
出羽(山形県・秋田県)の戦国大名・最上義光(もがみよしあき)は、親しみを込めて「鮭様」と呼ばれることがあるんですが、何と彼の部下に「鮭」の字を持つ人物がいたことをご存知でしょうか?彼の名は鮭延秀綱(さけのべひでつな)。産…
最近のコメント