山内一豊 本日はアノ奥様のお話抜きで語ります
“山内一豊”こう書くとどうしても後に“の妻”と続けたくなるのですが、今回は内助の功で有名な奥様は敢えてスルー。 一豊さんメインで行きます。 風采は上がらないが実は出来る男 この方良い男ぶりとは言いかねる外見だったようです…
“山内一豊”こう書くとどうしても後に“の妻”と続けたくなるのですが、今回は内助の功で有名な奥様は敢えてスルー。 一豊さんメインで行きます。 風采は上がらないが実は出来る男 この方良い男ぶりとは言いかねる外見だったようです…
結城秀康(ゆうきひでやす)は、徳川家康の二男でありながら、終生「徳川」姓を名乗ることはありませんでした。 本来なら将軍になってもおかしくない地位にありながら、それはどうしてだったんでしょう? 武勇に優れ、義を重んじた人柄…
「美濃のマムシ」と呼ばれ恐れられた「ザ・下剋上」の戦国武将・斎藤道三(さいとうどうさん)。 しかしその最期は、息子に討たれるという悲惨なものでした。 その息子の名は斎藤義龍(さいとうよしたつ)。 2m近くの威風堂々たる体…
奥平という名字を聞くと、 「なんか徳川に近い人…?」 程度にご存知の方は多いかと。 その通り、奥平信昌(おくだいらのぶまさ)は徳川家康の家臣なんですが、彼が歴史に名を残したのは、長篠の戦いでのことでした。 実は家康の娘婿…
賎ヶ岳7本槍といえば加藤清正、福島正則らが有名ですが、そのうちの1人加藤嘉明も、のちに水軍も率いるなどして順調に出世した武将です。 冷静沈着な人となりから「沈勇の士」として称えられ、伊予松山藩主さらに陸奥会津藩主になりま…
ニッチな戦国大名、興味ありませんか? そんなあなたにぴったりなのが、内ヶ島氏理(うちがしまうじまさ/うじとし)です。 あの世界遺産・白川郷を本拠地とし(当時は世界遺産じゃないですが)、外征もほとんど行わず、陸の孤島を治め…
この方イマイチ一般的知名度に欠けるのですが、信長配下の代表的武将です。 最後には関東方面司令官の地位にまで上り詰めたのですから。今日はそんなお話を。 不義密通 この方の名前は「いちます」とも「かずます」とも伝わっています…
強い戦国武将には「四天王」や「○○将」なんて強い家臣がいるものですよね。 今回ご紹介する原虎胤(はらとらたね)は、「武田の五名臣」にして「武田二十四将」に数えられることもある豪傑です。 生涯に参戦した戦は38度、その体に…
関ヶ原の戦いと言えば日本の歴史上、欠かすことができないお話です。 関ヶ原の戦いによって戦国時代にほぼ終止符を打たれただけではなく、次の時代の礎が出来あがったからです。 戦国時代120万石の大大名だった毛利は関ケ原の戦いに…
戦国時代の処罰として必ず出てくるのが「改易(かいえき)」。 領地を没収し、時には武士の身分を剥奪してしまうことで、とても重い処分です。 ここから再び身分を回復するのは、かなり難しいことでした。 仙石秀久(せんごくひでひさ…
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